昔の話・・・父の急逝
2012年 03月 23日
ここへきて孫育てをしながら思います。
子どもたちもようやく成人し、やっとやれやれと言う時期に
ふってわいたような(?!)孫育て(まぁ私はヘルプですけどね)
長女である私の母の子どもであるわたしたちを引き取ったのは
3人の子どもたちが結婚したり成人したり、でやれやれという時期だったはず。
しかも農業をしながらというのはとんでもなくたいへんだったことでしょう。
当時わたしは3歳、弟は9カ月。
亡くなった時父は34歳
脳溢血で急逝
私の最初の記憶は父の葬式だったようにずっと思っていたけれど、それは後から大人から聞いたことなのかも。だれか大人に「美由紀ちゃんのぬりえも入れようね」と促され、棺桶に入れたような。まわりで大人が泣いていた。
これは後から祖母に聞いたのだと思うが、いつも夜にはひとりで布団に入って寝ていた私が、父の亡くなる前夜にはどんなに叱られても何度も起きてきたのだとか。
その日はちょうど祖父が訪ねてきていて父を看取ったらしい。
葬式の日なのかその何日か後なのかだれか知らないおじさんとおばさんが私のそばにきた。
それがひょっとしたら私を養女にってこともありえた人たちだったかも。後から半端に聞かされると、子ども心はちと複雑だよね。
まぁそんなこんなでともかく母親は育てられなかったからその北海道の小さな村に来たわけだ。祖父母は子どもたちには厳しかったようだけど、私たちにはもうだいぶやわらかくなっていて、そりゃあそれなりに厳しかったけど、かわいがってもらって、後から思うとほんとにそこの村での生活は貴重な体験だった。牧場には牛や馬がいて、ニワトリがいて、田んぼや畑があって・・・
牛乳は搾り立てだったし、卵は産みたてだった。もちろん乳搾りもしたことあるし、卵も鶏小屋からとってきた。こわかったなぁ。牛は1日に何度かつなぎかえるんだけど(杭の周りの草を食べちゃうからね)、これが子どもだとバカにして走ってったりするんだよね。これもこわかった。冬には雪が積もるから馬に乗せてもらった。落っこちても痛くないから。いや、でも動物は苦手だったね。動物好きな人にはたまらん環境だったんだろうけど、こわくてヒヨコも持てない私にしたらけっこう試練が多かった。
でも、学校から帰ると山の上から馬がお帰り、って言うみたいに駆け下りてくるのはかわいかったな。(気のせいだったかも)
食べるってのは命をもらうことなんだな、ってのもこの頃なんとなく感じていたんだろうなぁ。だいぶ長いこと鶏肉は食べられなかった。