カテゴリ:思い出すまま( 20 )

祖母の命日にとりとめもなく

2009年のこの日祖母が亡くなりました。

2009年の12月の記事
をひっくり返してみてもそのことは一言も書かれていなかった。

この時私は『田園に死す』の初演に出演中で(もはや誰も覚えていてくれないかもしれないけど、忘れっぽい私もさすがに印象強く残っている)ブログの記事は毎日その公演のこと。

手帳をひっくり返したら
公演のメモの合間に
「3:40 永眠 95歳」とある。
北海道の特別養護老人ホームで。
連絡が来たはずなのに、だれからどうやってきたのかまったく覚えていない。
今これを書きながら、叔父からの電話だったかなとぼんやりと思い出す。
祖母はさいごの数年は息子である叔父夫婦といたが、彼らは他の親戚たちと折り合いが悪くてあまりつき合いはなかった。私はそういうことの距離をおいていたから何回か祖母に会いに行ったけど。
叔父と祖父母は昔からあまり折り合いがよくなく、私は父が早くに亡くなって祖父母に引き取られたが諍いもよく目にしていた。
その叔父から去年2013年の元旦に電話が来た。正直少し苦手だった。
内容は半年前から難病で入院中とのことだった。治療できるところがごく限られている難病とのことで何と言っていいかわからなかった。
それから特に連絡もないまま多分去年の今頃叔母から喪中ハガキが来た。
亡くなった時は連絡がなかった。
祖父母や叔父と暮らしたのは私が3歳から高校生くらいまで。兄弟姉妹間や親子間ではそれなりにいろいろあったのだろうが(どこの家庭にも多少はあるでしょう)話がくどくて閉口することも多かったけど取り立てて嫌な思いをした記憶はない。子どもの時、一緒に馬車に乗せてもらったりバイクの後ろに乗せてもらって落っこちたりした。
北海道はいつも昔の記憶でいっぱいだ。
思い出だけがたくさん残る。
冬の寒さと雪の季節は思い出すことが多くなる。
20年以上前に逝った祖父の記憶もいつまでも新しい。
前にも書いたけど、思い出す人がいる間はひとは生きているという。
彼らは彼の地では仲良くしているだろうか。





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by sk_miyuki | 2014-12-16 14:16 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

金の斧銀の斧

なんだって今こんなことを思い出したのやら、ですが

多分生まれて初めて「劇」というものに出たのは
小学校1年生の学芸会(あったね、昔は、こういうの)の時のこの童話

村の小中学校は人数が少ないので
ひとりで劇にも出るし踊りも踊るし器楽合奏とかもさせられるわけよ。

学年ごとに劇とやらをやるのに、私の学年は男の子2人と私だけだったから
この童話がまぁ登場人物の数も話の短さもぴったりよね
女の子がひとりしかいないんだから当然「女神」の役だよね。
そのころから「そんな女みたいな役(?!)」なんて自分に合わない
とわかっていたので苦痛ったらなかった
早く終わってくれることだけを願っていたから
顔かくして早口で小さい声で言ってとっととひっこんだ

話飛ぶけどそれから数年たって
学年またいでやる「劇」(なんか音楽劇ぽかったよ)
でちょっとかわいい顔のオンナの子と私の二人で
白雪姫か魔女をやれってことになった時は
すかさず「私魔女がいい」
って言ったわよ。
小人さんや姫がみんなで楽しく過ごしている時も
カーテンコールも
魔女は出ないんだよね。
これは面白かったね。
実際後から従妹たちの前でこの劇まるまる再現しちゃうくらいだった。

何が言いたいのか、って聞かれても困るんだけどさ。
この頃あまり他人としゃべってないからかな。





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by sk_miyuki | 2014-03-29 23:34 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

夢はひぃひぃ孫の顔を見ること

今日は祖母の命日だったことをあやうく思い出さないところだった不肖の孫です。
父が早くに亡くなりましたので、母方の祖父母が養父母です。
祖母は2009年の今日、95歳で亡くなりました。その時は「田園に死す」(初演)の公演中で、北海道まで帰ることはかないませんでした。
高校を卒業してからはずっとこちらでしたのであまり会えなくなったのですが、一人暮らしの時も結婚してからも冬の寒い時期には、祖父が存命の頃は二人で、一人になってからも祖母はこちらに来て一緒に過ごしました。
今思えば当たり前みたいにそうさせてくれたオットもいいやつだなと思います。

共働きの私たちより子どもたちのほうが長い時間を祖母と一緒に過ごしていたのですが、
ある時、子どもが
「ひぃばぁちゃんの夢はなぁに?」
と聞いたんだそうです。
答えは
「ひぃひぃまごの顔をみることだよ。」

それは子どもたちがまだ小さかった頃のことで、それからしばらくして祖母は遠出が出来なくなり、ますます会えなくなってしまいました。

祖母が亡くなった翌年、私たちに初孫が生まれました。
祖母の夢のことを子どもたちもふと思い出したのか、この話をしてくれて
「ひぃばぁちゃん、もう少しで夢がかなうところだったのにね。」

ひとは思い出す人がいる限り生きているのだと、どこかで聞きました。
ひ孫が生まれた時もとても喜んでくれた祖父母がいつもどこかで見守っていてくれるような気がします。


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by sk_miyuki | 2013-12-16 16:51 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

何を食べれば・・・

毎日何を食べればいいのか?何を飲めばいいのか?
なんて悩みは贅沢の極みだと思うけど。
だってたくさんあるからこその悩みだものね。
本当に何が何だかわからない。
そもそも何が安全で何が身体にいいのか悪いのかわからない。
情報もやたらあるけど何を信用していいのかわからない。

小学校まで北海道の山の中にいたから
夏のおやつは畑になっているトマトやきゅうりだった。
ばぁちゃんの作る野菜は天下一品だった。
牛乳は毎朝しぼりたてだった。
こっちに来てパックに入った牛乳を初めて飲んだ時は水かと思った。
たまの贅沢の肉料理の時は裏の鳥小屋から1羽いなくなっていた。
そのおかげで鶏肉を何も感じずに食べられるようになるまでかなりかかった。

なんて昔話を続けるつもりはないし、そんな生活が出来るわけないのは十分わかってるし、昔はよかった、とばばくさいことを言う気もないんだけど。

いや、とにかく、食べることひとつとってもこのところとみにいやぁな感じがするわけですよ。
野菜や肉を買う時は産地や「放射能不検出」って表示が気になるし、もちろん「遺伝子組み換えでない」表示も気になる。当然ながら値段も気になるよね。高きゃ安全なのか?この表示はホントなのか?このあらゆる食品に書かれているわけのわからない物質名は何?もうね、疑えばきりがないわけですよ。
塩分控えなきゃ高血圧、脳こうそくになるよ。
塩分摂らないと熱中症になるよ。
カロリー高いもん食べると肥満になるよ。
カロリーゼロの人工甘味料は有害だよ。
○○食べると健康になるよ。
○○食べるとガンになるよ。

うん、バランス良く食べればいいのはわかってるよ、野菜中心にしてね、適度な運動して、ね。
ったって、野菜や肉を前みたいに安心して食べられないじゃないの。米だって。
なこと言ってる間に国内自給できなくなってるじゃないの。
いいじゃないの、海外からたくさん入って来るし、そのほうが安いんだしさ。

とにかく、けーざい、けーざい、カネでしょ。

ってさ、おかしなことばっかあちこちで始めてない?
なぁんかおかしなことばっか言ってない?

一体だれがまともなんだかわからなくなっちゃうでしょ。

で、そのTPP?
これ何かまずくないですか?
すご~く気持ち悪いっていうか、とんでもない方向に行かされちゃうんじゃないか、とか
原発だってぼんやりしてたらこんなことになっちゃてて、
その「ぼんやり」ってのをじわじわ影で笑いながら自分のところにカネが転がり込んでくるのを待ってる輩がいるんじゃないか、とか。

めんどくさいから考えるのよそう、
っていうのが最も望まれてることなんだろうかね。




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by sk_miyuki | 2013-07-31 12:35 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

湯船の中で・・・:そういえば・・・

1面には「あ~あ、もう!」という記事が多い今日この頃ですが・・・

東京新聞生活面に「妻と夫の定年塾」というコラムがあって定年前後の人たち(特に夫婦の話題が多いかな)のエピソードにちょっとクスリとしたり、「あるある」感を刺激されたりしています。

22日は「孤立死」というタイトルでした。
湯船の中で八十代の独り暮らしの男性が亡くなっていた、
というニュース(?)をマスコミが「孤立死」という言葉で報じたことに対して
「人の死に方に安易な名前つけるのね」
「哀れみたっぷりで高齢者に無礼だわ」
と、話をしている
内容でした。(部分なので伝わらなかったらごめんなさい)

私も常々「孤立死」という言葉に違和感を感じていました。
だって、ひとりで暮らしていようとだれと暮らしていようと
死ぬときはひとりだし、
たまたま死んだ瞬間にまわりにだれもいなかったからって
「孤立死」
と哀れんでもらうなんてまっぴらだと私も思います。


それで、湯船の中で・・・
なのですが、実はこの前の記事に書いた私の祖父もまさしくそうだったのを思い出しました。
彼は独り暮らしではありませんでしたが。
そしてさらに思い出したのは・・・
それより数年前に親戚のおばぁさんにやはり湯船の中で亡くなった方がいて
祖父は
「いいなぁ。おれもそうやって死にたいなぁ。」
と本当にうらやましそうに言っていたんです。


あっと、なんとなく思い出したもので。
ちょっとここ数日わたわたしています。
DMが気になりつつ作業が止まっていますが、少しずつは進んでいます。





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『楽塾歌舞伎☆十二夜~2013海外版~』
【原作】W.シェイクスピア【台本・演出】流山児祥
2013年7月13日(土)~21日(日)@Space早稲田
チケット予約フォーム(阪口美由紀扱い)

(直接のメールやメッセージももちろん大歓迎です)
詳細ページ
CoRich!舞台芸術公演ページ
流山児★事務所
流山児祥オフィシャルブログ

シニア演劇WEB「なりふりかまわず」
楽塾ブログ

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by sk_miyuki | 2013-05-24 13:05 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

昔の話・・・父の急逝

子育てをしている時にも思いましたが
ここへきて孫育てをしながら思います。

子どもたちもようやく成人し、やっとやれやれと言う時期に
ふってわいたような(?!)孫育て(まぁ私はヘルプですけどね)

長女である私の母の子どもであるわたしたちを引き取ったのは
3人の子どもたちが結婚したり成人したり、でやれやれという時期だったはず。
しかも農業をしながらというのはとんでもなくたいへんだったことでしょう。
当時わたしは3歳、弟は9カ月。
亡くなった時父は34歳
脳溢血で急逝
私の最初の記憶は父の葬式だったようにずっと思っていたけれど、それは後から大人から聞いたことなのかも。だれか大人に「美由紀ちゃんのぬりえも入れようね」と促され、棺桶に入れたような。まわりで大人が泣いていた。
これは後から祖母に聞いたのだと思うが、いつも夜にはひとりで布団に入って寝ていた私が、父の亡くなる前夜にはどんなに叱られても何度も起きてきたのだとか。
その日はちょうど祖父が訪ねてきていて父を看取ったらしい。
葬式の日なのかその何日か後なのかだれか知らないおじさんとおばさんが私のそばにきた。
それがひょっとしたら私を養女にってこともありえた人たちだったかも。後から半端に聞かされると、子ども心はちと複雑だよね。
まぁそんなこんなでともかく母親は育てられなかったからその北海道の小さな村に来たわけだ。祖父母は子どもたちには厳しかったようだけど、私たちにはもうだいぶやわらかくなっていて、そりゃあそれなりに厳しかったけど、かわいがってもらって、後から思うとほんとにそこの村での生活は貴重な体験だった。牧場には牛や馬がいて、ニワトリがいて、田んぼや畑があって・・・
牛乳は搾り立てだったし、卵は産みたてだった。もちろん乳搾りもしたことあるし、卵も鶏小屋からとってきた。こわかったなぁ。牛は1日に何度かつなぎかえるんだけど(杭の周りの草を食べちゃうからね)、これが子どもだとバカにして走ってったりするんだよね。これもこわかった。冬には雪が積もるから馬に乗せてもらった。落っこちても痛くないから。いや、でも動物は苦手だったね。動物好きな人にはたまらん環境だったんだろうけど、こわくてヒヨコも持てない私にしたらけっこう試練が多かった。
でも、学校から帰ると山の上から馬がお帰り、って言うみたいに駆け下りてくるのはかわいかったな。(気のせいだったかも)
食べるってのは命をもらうことなんだな、ってのもこの頃なんとなく感じていたんだろうなぁ。だいぶ長いこと鶏肉は食べられなかった。


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by sk_miyuki | 2012-03-23 13:55 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

川のそばの家

父が亡くなって祖父母に引き取られたのは3歳の時。
北海道の南のほうの小さな村で汽車の駅まで1時間は歩かなければならず、1日に数えるほどしか汽車は来なかった。めったに隣の町にも行ったことはなかった。

祖父が家を建てるのが趣味(?)のような人で、自分で家の土台(???)を作っては大工さんを呼んで家を建てていたので、その村にいたのは多分3歳から12歳までだけど、2~3回家を建てて引っ越した気がする。土地は自分のところだし、木は山から切り出せばよかったんだしね。←ホントか?!

小学校に通い始めた頃の家は川のそばにあって、学校に行くには山道を通って行くか、自分のうちの渡し船で川を越えて行くしかなかった。山道は細くて暗くて、虫の声とも鳥の声ともつかないホーホーという音が聞こえ、時折目の前をイタチ(?)が横切り、木の上をリスが登り、カラスが鳴き、道端に蛇がとぐろを巻き、ランドセルを背負った1年生にはなかなかスリリングな登下校だった。明るい広い道路を通って帰る時は川の向こうから大声で呼ぶと誰かが農作業をやめて舟で迎えに来てくれた。この家には多分2年生くらいまでいた。その後は山のこちら側の(←どっち?)学校に近いほうに建てた家だった。

ある年には大雨で川が氾濫し、川のそばのアスパラ畑や田んぼ(だったかなぁ?)がダメになり、雨が止むと川岸に大きな木や石がゴロゴロ転がっていた。

学校の近くにも川があって、夏に泳ぐ、と言ったら川だった。泳げなかったけど。初めて海に行ったのは、多分中学以上になってから。

川のそばで親戚のお兄ちゃんと話したり、ひとりで川べりに座って、空を見てはおもしろい形の雲を探したり。今でも覚えているのは3段のデコレーションケーキみたいな雲だった。一番上にはちゃんと小さな雲が乗っていた。ひとりでいくらでも想像の世界で遊んでいたような気がする。

この村にいた小学校までの記憶はなぜかいつまでも鮮明で、それでいて、本当にあったことなのか、想像なのか、後から付け足したのか、人から聞いたのか、とんと今では確証がない。それなのに、だれかとあんな話したなぁ、とか、その時の表情や声の調子まで覚えているような気がしている。


こんな昔のことを思い出すのはお彼岸のせいかしら?




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by sk_miyuki | 2012-03-22 23:51 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

かわいそうな子・・・(加筆しました)

先日小学生の女の子が
「かわいそう、って言われるとすっごくむかつく。」

って言ってるのをたまたま聞いたんだけど、それ、わかります。
 

小さい頃に父親が急死して祖父母に育てられたので子どもの頃はイヤってほど
「かわいそう」
と言われた。
だから
「私はかわいそうな子じゃない、じいちゃんばぁちゃんに育ててもらってるし、学校も行ってるし、なんも困ってることなんかない。」
と言いもし、自分にも言い聞かせていた、

んだろうなぁ、きっと。


だから子どもの頃親に甘えるってことがなかったんだね。
これもようやく最近になって気が付いたんだよね。
子どもたちはもちろん私に甘えてくるわけなんだけど、
ああ、私はこんなことしてなかったんだな、って。
いや、ほんとに小さい時はだれかにしてはいたんだろうけども。

物ごころついてから世の中には甘えるのが上手い人間と下手な人間がいるんだ、と気づいた。

結果的には今となっては人生なんでもありなんだから、自分の生育の過程がどうあろうとそれもすべてひっくるめての今の自分なんだから、むしろいろいろあったほうがおもしろいじゃん、ってなもんなんだけどね。

かわいそう、に戻るとね、
たまに自分の子どもの頃のこと話すじゃない?
そうしたらこどもたちに
「ママ、かわいそう。」
って言われたんだよね。
そうしたら、その時になんだかストン、と落ちるものがあったんだよね。
「ああ、そうか、わたし、かわいそうな子どもだったんだぁ。」
って、なんだか納得してね。すっきりしちゃったね。

初めに書いた「かわいそう」の印象と矛盾するみたいなんだけど、自分で認めちゃうと、それすらネタにできそう、と言うか、そうなのよぉ、かわいそうでしょ、あはは、みたいな?


子ども育てたり孫育てたりすると自分のこともものすごく気づかされることが多くてホント、おもしろい。



ちょっと加筆すると(12月5日)
うちのこどもたちが「かわいそう」って言ったのはもちろん一般的な同情からじゃなくて私のことをよくわかっていて愛してくれているからこその言葉だったんだよね。だから私も素直になれて、子どもの頃からの肩の荷がストンとおちた気がしたの。念のため。



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by sk_miyuki | 2011-11-29 11:07 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

そういえば・・・

今日はジムにも行かず家の中の片づけをしまくりました。エアコンも控えめにして動き回ったら家の中から1歩も出ていないのに6500歩をこえました。かなり汗だくにもなり昨日ジムで4時間運動したより体重が減りました。ま、ふだんまともに掃除していないからたまに本気出すとあれもこれもとなるわけです。

それはともかく、本の整理もしていたら「俳優デビューが近くなる本」なんて雑誌が出てきました。それも10年も前の。
10年前っていったらバリバリの仕事中毒で、仕事辞めて演劇やるなんて思ってもいなかったと思ってたけど潜在意識的にあったのかな。ぱらぱらめくったら劇団の紹介のページに流山児さんや肝付兼太さんや北村想さんや天野天街さんの名前やお言葉が載っていて、なんだか不思議な感じ。こんなことも人生にはあるんだなぁ。

それでつれづれに思い出したのですが、アマチュア演劇に首を突っ込みだした、それからさらに10年くらい前に「モモと時間どろぼう」を地元のホールで上演したのですが、その時の演出が劇団仲間の大槻悦郎さんでした。今でも時々思い出すのはちょっと照れたような優しい笑顔です。演出で印象に残っているのはものすごく辛抱強く素人役者の相手をしてくださって、ここ、というタイミングで「そこで○○できますか?」などと静かにおっしゃったこと。芝居をするのがおもしろいなと思った瞬間はいくつかあるのですが、あの時も間違いなくそのひとつです。その大槻さんが数年後に若くして亡くなったと知った時は本当にショックでした。
彼のことを覚えていたいので今日は書かせていただきました。
とんでもなく遅ればせですが、ありがとうございました。





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by sk_miyuki | 2011-08-04 00:20 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

Nice meeting you again! - 12年ぶりに

1999年の夏にエジンバラ大学のサマーコース(演劇コース)を受講したのですが、その時とっても仲良くなったイタリア人のFrancaとfacebookで再会できました。
その演劇コースはエジンバラフェスティバルの観劇やその後のディスカッション、戯曲リーディングなどを含む超充実のコースで、その年のフェスティバルには韓国のNANTA!や勅使川原三郎さんのオペラなどもあって大好評でした。大中小の劇場はもちろん街中のいたるところグランドから倉庫までが劇場になり通りはすべてパフォーマンス会場になるという演劇好きにはくらくらするくらい楽しいところ(時期)です。

コースにはグループごとに寸劇を創って発表する、という授業もあって、他の授業と並行して準備をしました。私のグループは私が話した「泣いた赤鬼」が採用されて行きがかり上私が赤鬼をやることになり、Francaは青鬼役でした。台本を創るところから始めたので講義時間外でもよく一緒に話し合っていました。Pubにも一緒に行ったなぁ。短時間で英語の台詞を覚えなくちゃならなかったのでたいへんでしたが、芝居創りが仲間意識を強くするのは万国共通でした。その後彼女とは何度かメールは交換していたのですが、その後途絶えてしまって気になっていました。寸劇の発表が好評で“You are an actress!”なんて言われて調子こいちゃった、なんてこともありました。授業はレベルが高くて劣等生でしたが、この寸劇の稽古が始まってからがぜんコースメイトたちとコミュニケーションが取れるようになって一気に仲良くなりました。演劇の力は偉大だ。多分あの時また少し演劇に近づいたような気がする。

あの時のことはすごく印象が強くてことあるごとに思い出していた。
Francaにもまたきっと会えるような気がする。


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by sk_miyuki | 2011-03-22 23:53 | 思い出すまま | Trackback | Comments(0)

早期退職して50歳から演劇生活中の阪口美由紀のブログ。稽古・公演・映像・観劇メモ。英語学習メモ。ぼちぼち始めたモノ減らしや健康のメモなど。年々物忘れ力が上がるので備忘録ブログです。


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